乳がんになって思うこと(2025年4月)

一昨年の秋(2023年9月)乳がんと診断された時は、家族や周囲にたくさんの心配をかけました。乳がんは5つのタイプがあるのですが、私の場合はトリプルネガティブタイプ(女性ホルモンが関係しないタイプ)でした。

ネットで情報を得ようとすると、古い記事ではトリプルネガティブタイプは進行が速く予後が良くないということが多く書かれており、私自身は「医療も進んでいるだろうからなんとかなるさ」という気持ちでしたが、夫は不眠気味になるし、友人は「死なないで〜」と泣くし、結カフェ職員たちもかなり心配していました。

2022年から乳がんで認可になったという最新の免疫治療(キイトルーダ)と化学療法を術前に行ったおかげで、2023年3月に行った左胸全摘・リンパ節郭清手術後の検査でpCR(病理学的完全奏功)を得ることができました。

術後のキトルーダ治療は9回行うのが標準なのですが、私の場合、副作用で自己免疫疾患である筋炎になっていることがわかり、また化学療法(パクリタキセル)の副作用で多発神経炎にもなっていたので、術後キイトルーダは1回のみで終了しました。現在は分子標的薬を服薬して再発予防の治療を行っています。

乳がん治療の支えになったのは、家族、友人、知人、結カフェの皆の祈りと励ましでした。「祈っているよ」「きっと良くなるよ」「無理しないでゆっくり休んで」という言葉が、どれだけ私の心を支えてくれたか分かりません。

同時に、日常の中のささやかな出来事――朝の光、風の匂い、一戸町奥中山の景色、通院途中や入院中の岩手山の景色、誰かの笑顔――そんな小さな恵みに心が動かされました。

治療に向けてやる気満々だった私ですが、いざ治療が始まると免疫療法・化学治療の副作用で毎日具合が悪く撃沈しました。体調がすぐれない苦痛の中にいるからこそ当たり前だと思っていた日常が今まで以上に愛おしく、神様からの贈り物に思えました。

今は、2人に1人ががんになる時代です。見た目にはわからなくても、苦しみや不安を抱えて生きている人がたくさんいます。私自身、経験を通して初めて「わからなかったこと」が、たくさんあると気づかされました。

がんになったことは決して良いことではなかったけれど、人の痛みを以前より自分ごととして考えられるようになったことや、「あなたは一人じゃないよ」と側に寄り添ってもらえることが、希望と慰めになることを強く感じたことも神様からの贈り物だと思っています。

私は、一戸町に移住して33年が経ちました。右も左も分からない土地で、最初は不安もありましたが、地域の方々が温かく迎えてくださり、その支えの中で安心して生活を始めることができました。だからこそ、今度は私も、新しく一戸町に来られる方々にその温かさを手渡していきたい――そう思っています。かつて私がしていただいたように、「ようこそ」と声をかけ、「ここはあなたの居場所ですよ」と伝えていくことが、私にできる“恩送り”ではないかと感じています。

乳がん治療の副作用で筋炎・神経炎になり足が不自由で活動に制限がありますが、自分のできる範囲で人と交わり、そのつながりの中で互いに思いやること、孤独を感じる人がいれば「一人ではない」と思ってもらえるように寄り添うこと。寄り添うことは簡単なことではありませんが、そんな働きを小さくても続けていきたいと願っています。

※この記事で使用している写真は、乳がん手術で入院時に病室から見えた岩手山です。

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